研修実績

スーパーローテート開始後の入局者数実績

年度 入局者(人)
令和4年 8
令和3年 9
令和2年 10
平成31年 9
平成30年 6
平成29年 10
平成28年 8
平成27年 6
平成26年 7
平成25年 10
平成24年 10
平成23年 10
平成22年 12
平成21年 4
平成20年 8
平成19年 6
平成18年 8

新入医局員紹介

令和4年研修終了

山本 泰資

山本 泰資(YAMAMOTO Taisuke)
卒業大学:金沢大学
卒業年:平成31年

 この度金沢大学整形外科に入局させて頂きました山本泰資 (たいすけ)と申します。石川県で1番多い名字ですので是非下の名前まで覚えて頂けると幸いです。
 生まれも育ちも金沢で、幼稚園から高校まで金大附属でした。父は皮膚科医ですが、小学生からサッカーをしていた影響で皮膚より下の筋肉や骨に興味を持ち、大学入学後はあらゆる年代のQOLの改善に深く関わることができる整形外科の奥深さや同門の先生方の仕事に対する熱意に魅了され入局を決意しました。
 サッカーは基礎練習に基づいた組織的なプレーが基本です。その上で自分がプレーしていたフォワードはゴールという結果が求められ、時には敵の意表をつくクリエイティブなプレーが必要でした。今後は整形外科という新たなフィールドでしっかりと基礎を身につけ、いつの日かクリエイティブな仕事をして貢献できるよう日々精進したいと思っております。今後ともご指導ご鞭撻の程宜しくお願い致します。


齋藤 美希乃

齋藤 美希乃(SAITO Mikino)
卒業大学:金沢大学
卒業年:令和2年

 この度金沢大学整形外科に入局させていただきます、齋藤美希乃と申します。
 出身地は大阪府堺市ですが、生まれ落ちただけで、育ちはほとんど金沢です。静岡や函館にも住んでいたことがあります。小学校1年生から高校3年生まで、シンクロナイズドスイミングという競技をしていました。国民体育大会や日本選手権の賞状を持っていることが、ちょっとした自慢です。スポーツドクターとしてシンクロに関わり続けたい、できればオリンピックに行きたい!と思い、医師を目指しました。実は昨年度、東京パラリンピック水泳会場のメディカルスタッフとして関わらせていただき、半分くらい夢が叶いました。
 同期唯一の女子ではありますが、シンクロで培った根気と根性には自信があります。まずはできることをきっちりとこなし、できることを増やしていけるよう頑張ります。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。


滝野 成道

滝野 成道(TAKINO Narimichi)
卒業大学:金沢大学
卒業年:令和2年

 この度金沢大学整形外科に入局いたしました、滝野成道と申します。出身は石川県金沢市で、金沢泉丘高校、金沢大学を卒業しました。学生時代から野球をしており、怪我をすることも多く整形外科に馴染みはありましたが、医師、更には整形外科医を志すきっかけになったのは、高校時代に金沢大学附属病院整形外科を受診したことでした。テキパキと働く先生方の姿は輝いて見え、「医者って、整形外科医って格好良いな」と感じたのを覚えています。医学部入学後もこの印象は変わらず、臨床も研究も明るく全力で取り組むこの「ナイス」な医局の一員になれることを心から嬉しく思っています。
 私の「成道」という名には「修行の末に悟りを開くこと」という意味があります。まだまだ未熟者ですが、先輩方のような格好良い整形外科医に、そして格好良い人間になれるよう、これからも日々精進していく所存です。今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。


大西 翔

大西 翔(ONISHI Sho)
卒業大学:金沢大学
卒業年:令和2年

 この度、金沢大学整形外科に入局させていただきました大西翔です。一度別な大学へ通っていたこともありましたが、医師の夢を諦めきれず、一念発起して金沢大学へ入学した経緯があります。学生の頃から整形外科の「運動機能を回復させる」科としての魅力、そして先生方の活気ある姿に感銘し、整形外科医を志しました。
 幼い頃からバレーボールをしており、体力と肩幅と体の大きさは誰にも負けません。恵まれたことに整形外科医に見合った体格を持っていますが、残念なことにまだ整形外科医としての知識や経験が十分に詰まっていません。これからはこの体格通りの整形外科医になれるよう日々成長の意識を持ち、様々な経験を積んでいきたいです。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。


布谷 信

布谷 信(NUNOTANI Shin)
卒業大学:秋田大学
卒業年:平成31年

 2022年度より金沢大学整形外科に入局させていただきました、布谷信 (ぬのたにしん)と申します。まずお伝えしたいのは、残念ながら富山市の布谷整形外科クリニック、布谷猛先生とは血縁関係にありません (笑)。東京に生まれ、リハビリテーション専門医であり訪問診療を主に活動していた父の背中を見て育ち、気づけば医学を志していました。2度の浪人生活を経て、秋田大学に入学し環境の変化に戸惑いながら何とか卒業し、今の妻の尻を追いかける形で石川県にやってまいりました。縁もゆかりもない私に声をかけていただいた初期研修先の先生方や見学時に丁寧に対応していただいた先生方に大変感謝しております。臨床と研究と積極的に両立される姿に憧れ、入局させていただきました。高校、大学と精を出したアメリカンフットボールを間近に感じながらの留学生活に胸と鼻の穴を膨らませておりますので、臨床・基礎ともに厳しくご指導ご鞭撻賜れれば幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。


二又 健太

二又 健太(FUTAMATA Kenta)
卒業大学:自治医科大学
卒業年:令和2年

10年後の自分に対するメッセージ
 はじめまして。自治医科大学出身の二又健太と申します。地元の石川県立中央病院で研修医を終え、金沢大学整形外科に入局させていただくこととなりました。義務年限の一環で、今年の4月より輪島市から北へ50㎞の舳倉島診療所長となります。今後数年間は地域で内科医として働くことになり、整形外科医として本格的に働くのは8年後です。整形外科医としてバリバリ働き始める同期と比べると少し引け目を感じてしまいますが、舳倉島でもネット環境はあり、コロナによるオンラインの流れで知識的な地域格差は縮まりました。電子書籍や論文が読めたり、webセミナーにも参加できるのは10年前の舳倉島では考えられなかったことです。これから地理的ハンデはさらに少なくなり、場所による言い訳ができない時代になると思います。今後10年の多くを地域で過ごす見込みですが、どこにいてもチャンスはある、とポジティブに考え内科医・整形外科医としての知識・経験を積んでまいります。


木寺 将大

木寺 将大(KIDERA Masahiro)
卒業大学:福井大学
卒業年:平成31年

 この度、金沢大学整形外科に入局させて頂くこととなりました木寺将大と申します。トヨタで有名な愛知県豊田市出身で岡崎高校を卒業後、福井大学を経て福井県済生会病院にて2年間の初期研修を終え現在に至ります。
 幼少期よりスポーツ好きで中学までは空手、中学高校大学ではハンドボールに打ち込んでおりました、比較的厳しい体育会系の中でもまれてきましたので体力気力には自信があります。
 私は大学時代より患者様が失った機能を取り戻し笑顔で退院していくところに魅力を感じ、整形外科を志望しておりました。初期研修先の福井県済生会病院での研修で五之治先生、山内先生をはじめとする同門の先生方の人柄、仕事に取り組む姿勢に触れ先生方のような整形外科医になりたいと思い入局を決めさせていただきました。
 理想の整形外科医像に一歩づつ近づけるよう、同期とともに日々精進していく所存です。今後とも何卒ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。


藤枝 司

藤枝 司(FUJIEDA Tsukasa)
卒業大学:福井大学
卒業年:令和2年

 この度、金沢大学整形外科に入局させていただきました、藤枝司と申します。福井県福井市出身、藤島高校から福井大学を卒業し、初期研修は福井県済生会病院で研修させて頂きました。
 学生の頃から整形外科には興味があり、研修病院で指導医の先生方に大変よくして頂いたこと、また大学を見学させて頂いた際の医局の雰囲気や素晴らしい実績の数々を拝見したことで入局を決意致しました。
 小学生から大学6年生までサッカーをしており、自分は下手でしたが、大学4年生時に西医体を優勝したことが学生時代の一番の記憶です。もっぱら最近はゴルフにはまり、時間をみつけてはうちっぱなしに通っています。なかなか上達しないゴルフですが、得意な先生方が多いと伺いましたので、仕事以外でのご指導もお願いしたく存じます。大変未熟でご迷惑をおかけすることも多々あるかと思いますが、精一杯努力してまいります。何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。