医学生・研修医の方へ

新専攻医の紹介

新入医局員紹介

鎌田 大基
鎌田 大基
KAMATA DAIKI

この度金沢大学入局させて頂きました、鎌田大基と申します。出身は福井県で、藤島高校を卒業後、金沢大学に進学し、石川県立中央病院での2年間の初期研修を経て今に至ります。
 大学ではラグビー部に所属しており、脱臼や骨折などの怪我により、在学期間中に何度か整形外科のお世話になる機会がありましたが、一番大きかったものは右足関節の脱臼骨折であり、金沢大学付属病院で手術をして頂きました。その時のプレートは今も足を支えてくれています、大変お世話になりました。ありがとうございました。
 まだまだ足りない物ばかりで、日々自分の未熟さを痛感している毎日ですが、多くのことを学び充実した時間を送ることができています。一つ一つの症例を大事に、少しでも早く一人前の整形外科医に近づけるように努力して参りたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

阿江 耕一郎
阿江 耕一郎
AE KOICHIRO

この度金沢大学整形外科に入局させて頂きました、阿江 耕一郎と申します。生まれは滋賀県ですが育ちは石川県で、金沢大学附属中学、高校を経て金沢大学医学部に進学しております。学生の時分には文化部に身を置いており、何かしらのスポーツに力を入れていたわけでなければ、大きな怪我とも無縁の経歴であり、整形外科を志した者としては少々珍しいタイプではないかと思っております。
 大学での臨床実習の折に初めて整形外科という選択肢を考えるようになり、その後紆余曲折あって研修医2年目秋まで悩みましたが、運動機能回復によるQOLの改善や多彩な専門性に心を惹かれ、入局を決めさせて頂きました。
 専攻医として診療に携わるようになり、歯痒い経験を重ね、自身の至らぬ点を反省する日々を送っております。一人前には程遠い身で、多々御迷惑をおかけするかと思いますが、一歩ずつ精進して参りますので、今後とも何卒御指導御鞭撻の程宜しく願い申し上げます。

伊藤 佑輔
伊藤 佑輔
ITO YUSUKE

この度金沢大学整形外科に入局させていただきました、伊藤佑輔と申します。
出身は石川県野々市市で26年間石川県で過ごしました。名前の漢字をよく「祐輔」と間違われることがありますが、正しくは「佑輔」です。「佑」は「佑(たす)ける」という意味があり、「輔」も「輔(たす)ける」と読めるそうです。この名前の由来や元々父親が麻酔科医をしていたことから医師の憧れがあり、特に麻酔科医になりたいと思い、医師を目指しました。整形外科に興味を持ち始めたのは学生実習の時です。小さいころ漫画で切断肢の手術についての話をみたときから切断肢に少し興味があり、実習でマイクロを触ってから整形外科に興味を持ち始めました。マイクロの前にまずは一般的な骨折の手術などをできるようになれるように頑張りたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

関 にらい
関 にらい
SEKI NIRAI

この度、金沢大学整形外科に入局させて頂きました、関にらいと申します。“にらい”は”ニライ・カナイ“という沖縄に伝わる理想郷のことで、幸せを運ぶ人になってほしいという意味を込めて、父がつけてくれた名前です。少し変わった名前ですので、覚えて頂けると幸いです。
出身は福岡県で、大学は金沢医科大学ですが、九州中央病院、九州大学病院で初期研修をしておりました。
入局後、金沢大学付属病院、金沢医療センターで働かせて頂きました。金沢大学整形外科には、縁もゆかりもなく、4月に入局する直前は大変不安を感じていましたが、先生方に熱心なご指導をして頂いたり、多くのご配慮をして頂いたりと、金沢大学に入局決めて本当に良い選択であったと考えております。
最後にはなりますが、日々勉強し、知識と技術を身に付け、最終的には名前の通り、幸せを運ぶ人になりたいと思っております。今後ともご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

青山 知裕
青山 知裕
AOYAMA TOMOHIRO

この度、金沢大学整形外科に入局させていただきました青山知裕と申します。
 生まれは石川県ですが、育ちは富山県であり、富山中部高校を卒業後、金沢大学に進学しました。高校時代の部活動は、整形外科と縁の深い運動部……ではなく、その対極にある将棋部に所属していました。当初は勉学に集中する目的で選んだ部活でしたが、将棋の奥深さに魅了され、気づけば学業以上に将棋の勉強に取り組む日々でした。当時はプロ棋士とAIの対戦が話題を呼び、人間の知能と人工知能がせめぎ合う時代でした。
AIに初めて敗れた米長邦雄永世棋聖は「棋士の存在そのものが文化だ」と語っています。同門の先生方が築き上げてきた輝かしい実績と伝統に連なる一員として、この文化を未来へ紡ぐべく日々研鑽を積む所存です。
まだまだ好手を指すには至りませんが、自分なりの「次の一手」を見据えて努力してまいります。今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

大森 駿
大森 駿
OMORI SYUN

この度、金沢大学整形外科に入局した大森駿と申します。福井県生まれ、藤島高校出身です。大学は北陸を離れ、宮崎大学で6年間を過ごしました。南国宮崎では雪とは無縁の日々で、冬でも常に晴天という環境でした。北陸に戻ってきてから研修医期間を含め3年経ち、ようやく雪にも慣れてきました。
父を初め、身内に整形外科医がいたことに加え、高齢化社会で今後ますますニーズが高まること、そして何より、動かなかった手が動くようになり、歩けなかった人が歩けるようになって笑顔で帰っていく姿を見られることに整形外科医としての魅力を感じ、志すようになりました。先輩方の背中を追いかけながら、日々研鑽を積んで参りたいと思います。
スポーツは中学から大学までテニス、大学ではゴルフも嗜んでおりました。趣味はサウナとお酒を飲むことです。仕事で多忙な時期もあると思いますが、適度にストレスを発散させて頑張りたいと思います。
未熟者ではございますが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

米澤 克隆
米澤 克隆
YONEZAWA KATSUTAKA

金沢市にあります整形外科米澤病院に勤務しております米澤克隆と申します。この度、伝統ある金沢大学整形外科学教室に入局させて頂く事になり、大変光栄に存じます。
私は平成22年に金沢医科大学を卒業後、平成24年に同大学整形外科学教室に入局いたしました。その後、同大学病院や穴水病院で外傷を中心に整形外科の基礎を学びつつ、大学院で研究に取り組みました。研究終了後は、群馬の石井病院、恵寿金沢病院、氷見市民病院に勤務し、外傷や関節疾患を中心に地域医療に邁進してまいりました。令和4年度からは恵寿金沢病院にて医長として赴任しておりましたが、令和6年4月より祖父が創立し、父と叔父二人が支えております整形外科米澤病院へ入職する運びとなりました。今後は父や叔父たちとともに、引き続き金沢の地域医療に貢献してまいりたいと考えております。
今後も皆様にお力添えを頂く機会も多いかと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

一宮 良輔
一宮 良輔
IKKU RYOSUKE

この度、金沢大学整形外科に入局いたしました、一宮良輔と申します。金沢で生まれ育ち自治医科大学に進学後、石川県立中央病院で研修を行いました。研修では外傷や変性疾患の術後に患者様が日常生活を取り戻していく姿にやりがいを感じ、整形外科の奥深さに魅了されこの道を志しました。自治医科大学の特性上、当面は内科を中心に地域医療に従事しますが、外来診療を含め幅広い視点を持ち患者様一人ひとりに寄り添いながら学び続けていきたいと考えています。将来的には整形外科医として手術・外来ともに貢献し、より良い医療を提供できるよう努めてまいります。いずれ先輩方とともに診療や研究に携われる日を楽しみにしながら経験を大切に積み重ねていきます。未熟ではございますが、一日でも早く皆さまのお力になれるよう精進いたしますので、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

三平 整
三平 整
MIHIRA SEI

この度、金沢大学整形外科医局に入局させて頂くことになりました、三平 整と申します。
私はもともと石川県の生まれで、近畿大学入学までの約18年間は石川県で育ちました。特に小学6年からは金沢市内で育ち、通り沿いにある紫錦台中学校に通っていたため、金沢大学付属病院を見ながら通学した記憶は鮮明に覚えております。また、通学中の事故で顔面をパンパンに腫らして、附属病院に駆け込んだこともあり、個人的には非常に馴染み深い病院だと勝手に思っております。大学で一旦は大阪に出て、今や大阪での生活のほうが人生においては長くなってしまいましたが、いつかは地元に戻りたいという思いは強く、このたび帰郷できることができて、非常に嬉しく思っております。
また金沢市立病院という、長い歴史ある病院で仕事させて頂けることとなり、ご恩に応えられるように必死に務めて参りたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

松宮 菜々子
松宮 菜々子
MATSUMIYA NANAKO

この度、整形外科に入局いたしました松宮菜々子と申します。福井県小浜市出身で、福井大学を卒業後、福井県済生会病院で研修し、縁あって金沢大学の整形外科にお世話になることとなりました。大学時代はラグビー部のマネージャーとして選手たちを支え、スポーツの大切さとチームワークの重要性を学びました。バスケットボールは10年のキャリアがあり、今でもシュートの精度には自信があります(もちろん医療の精度が一番大事ですが)。これらの経験を生かし、患者様には的確な診療とともに、少しでも心のケアもできるよう心がけていきたいと思っております。患者様が「痛い」という言葉を言わずに帰れるよう、心のケアも大切にしていきたいと思います。まだまだ未熟者ではありますが、皆様からたくさんのことを学び、少しでもお役に立てるよう精進してまいりますので、どうかよろしくお願い申し上げます。

上出 貴洋
上出 貴洋
KAMIDE TAKAHIRO

この度、金沢大学整形外科に入局いたしました、上出貴洋(かみで たかひろ)と申します。石川県内灘町で生まれ育ち、内灘中学校、金沢泉丘高校、そして金沢大学医学類へと進学し、そのまま金沢大学附属病院にて初期研修を行わせていただきました。高校まではサッカー部、大学ではラグビー部に所属しており、スポーツが大好きであることから、自然と整形外科に関心を持つようになりました。2025年1月より恵寿総合病院にて整形外科研修を開始し、4月からは専攻医として本格的に勤務させていただきます。新しい症例の患者さんに接し、学びながら診療を行うなかで毎日新たな疑問が湧き、自らの未熟さを痛感する一方で整形外科医として成長していく喜びも感じております。まだまだ未熟ではございますが、一人前の整形外科医となれるよう、謙虚に努力してまいります。今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

上木 大雅
上木 大雅
UEKI TAIGA

この度金沢大学整形外科に入局させて頂きました上木大雅(うえきたいが)と申します。
私は金沢市出身で、金沢大学を卒業し石川県立中央病院で2年間初期研修を行いました。
 これといった志望科もなく学生時代を過ごしておりましたが、石川県立中央病院で診療に関わる内に整形外科に興味関心を持ちました。腫瘍、変性疾患、外傷、感染症などに対する多くの手術を間近で拝見できる現場であったため技術や知識の豊富な先生方に対して、気付けば憧憬の念を抱いておりました。また私事ではございますが、研修医1年目の冬に愛犬の膝手術を経て生命における運動器の役割や重要性を改めて実感しました。こうして金沢大学に入局を決心しました。
 今後様々な場所でお世話になると思いますが、金沢大学整形外科の名に恥じぬ様日々精進して参ります。ご指導ご鞭撻の程宜しくお願いいたします。

増田 秀輔
増田 秀輔
MASUDA SYUSUKE

金沢大学整形外科の皆様はじめまして、増田 秀輔(ますだ しゅうすけ)と申します。私は2007年に東海大学医学部を卒業し、2009年より整形外科医として多数の施設で勉強させていただきました。主に手肘・末梢神経の診療に携わっていましたが、上腕骨骨折の手術にやりがいを覚え、徐々に肩関節外科に興味が移りました。肩関節鏡手術の技術や病態の多彩さに魅せられ、遅ればせながら取り組み始めるもラーニングカーブの壁に直撃し足踏み状態となっていた頃、太田悟先生の肩関節鏡手術の存在を知り、肩関節よろしく巨人の肩に立ちたく門を叩きました。2024年10月より真生会富山病院で太田悟先生の御指導の元で連日肩関節鏡手術・人工肩関節手術を学んでおります。北陸での生活が始まり、美しい自然と街の調和に感動し豪雪に驚き、新鮮な毎日を過ごしております。伝統ある金沢大学整形外科の皆様、今後御指導御鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

中村 允駿
中村 允駿
NAKAMURA MASATOSHI

この度、金沢大学整形外科に入局いたしました、中村允駿(まさとし)と申します。
出身は石川県能美市で九谷焼を生業とする家系に生まれ、小松高校、金沢大学を卒業致しました。
小学生から大学まで水泳を続ける傍ら、高校生の頃から自宅にトレーニング器具を購入して筋トレにハマっていく中で、身体の勉強が面白いと思うようになり、気がつけば医師への道を志していました。大学でも再度筋トレにハマり、飲み会を断ってお金を貯め、器具を買い漁り、最後はパーソナルトレーナーとして自宅にジムを開業する夢を叶えました。このような経緯から、学生実習の際にどの科を回っても楽しく感じてはおりましたが、やはり整形外科を回っている時の高揚感は何ものにも変えられず、整形外科医になろうと決意しました。
先輩方にはご迷惑をおかけする毎日ですが、整形外科医として一歩一歩鍛えて成長していきますので、今後ともご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い致します。

中谷 薫 
中谷 薫 

この度, 金沢大学整形外科に入局させていただきました中谷薫と申します. 金沢市出身で, 金大附属高校, 福井大学を卒業しました. 祖父と父の影響もあり, 幼い頃から志していた整形外科医として一歩を踏み出せること, 大変嬉しく思います. 初期研修では整形外科専門コースを選択し, 多くの先生方のご指導のもと, 貴重な経験を積むことができました.
私事ですが, 2025年1月に第1子を出産し, 現在育休中です. 楽しいながらも心配事が尽きない日々です. 出産は想像を絶する辛さでしたが, 感動, 幸せ, 親への感謝と尊敬であふれるものでした. 妊娠・出産・育児を経て, 子育ての有り難さと大変さを知り, 良い意味で自身の親子関係が清算された気がしています.
これから家庭と仕事のバランスがとれるかという不安もありますが, 支えてくださる方々への感謝を忘れず, 精一杯努力してまいります. 未熟者ではございますが, ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます.

田口 晃宇
田口 晃宇
TAGUCHI KOSUKE

この度、金沢大学整形外科に入局いたしました田口晃宇と申します。生まれも育ちも金沢です。中学校、高校、大学と野球をしていました。医学部生の頃から多くの先生方に整形外科の魅力を教えていただき、特に整形外科野球部の活動に何度か参加した際に熱烈に歓迎していただいたのが入局の決め手でした。
野球でも最近ハマっているゴルフでも練習中に思うのが体を連続的にうまく動かすことがコツではないかということです。どんなスポーツにおいてもプロ選手の動きは美しいです。末端から体幹を通って末端まで全体で連動したしなやかさと力強さがあるからです。
整形外科での診療でも診断から治療、機能回復までスムーズに連動させることが重要だと思います。まずは一般的な外傷から対応できるように素晴らしい先輩方の背中を追って研鑽していく所存です。まだまだ未熟で勉強不足ですがこれからもご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

望月 彩香
望月 彩香
MOCHIZUKI AYAKA

この度、金沢大学整形外科に入局いたしました望月彩香と申します。出身は石川県で、金沢泉丘高校及び金沢大学を卒業しました。初期臨床研修は石川県立中央病院で行い、貴重な経験を積むことができました。
 中学生の頃から医師を志しておりましたが、整形外科に興味を持ったのは研修医1年目の終わり頃です。それまでは漠然と外科系に進みたいと考えていましたが、手外科領域の手術を見たことがきっかけで、整形外科に強く興味を持つようになりました。また、患者さんが元気になって退院する姿を見たり、活気ある先生方と接したりする中で、整形外科の魅力を実感し、この道を選ぶことに決めました。
 日々学ぶ中で、整形外科分野の広さや奥深さを知り、自分の未熟さを痛感しております。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、精一杯努力して参りますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

柳川 龍之介
柳川 龍之介
YANAGAWA RYUNOSUKE

この度、金沢大学整形外科に入局いたしました、柳川 龍之介と申します。
石川県志賀町の出身で、七尾高校を卒業した後、金沢大学に入学しました。
幼少期からスポーツが身近にあり、中学から大学まで陸上競技に取り組んでいたこともあり、整形外科という分野には医学部入学時から興味を持っていました。また、初期研修を通じて、患者さんが手術によって回復し、再び自分の足で歩いて帰られる姿に大きなやりがいを感じ、整形外科の道に進むことを決めました。
不器用な自覚はありますが、その分、努力を重ねて少しずつでも確実に成長していけるよう精進してまいります。皆さまには、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

勝尾 丘
勝尾 丘

この度,金沢大学整形外科に入局させていただきました勝尾丘(かつおたかし)と申します.丘の名は,「論語」で知られる孔子の字に由来します.福井県出身で,福井県立藤島高校,金沢大学を卒業しました.小学校から高校までサッカーに情熱を注ぎ,そろそろ手でボールを触りたくなったので大学ではバレーボール部に所属しました.金沢大学整形外科サッカー部にも所属させていただきたいと考えています.
幼少期からスポーツをやっていたこともあり,スポーツドクターを目指して整形外科の道を選ばせていただきました.サッカーやバレーボール,その他のスポーツに関わり,選手のサポートをしていく仕事ができたらと考えています.整形外科医である父の姿に尊敬と憧れを抱いていたこともきっかけの一つですが,父には内緒です.未熟者ではございますが,父を超えるべく精進してまいりますので,何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます.

岡 健志郎
岡 健志郎
OKA KENSHIRO

このたび、金沢大学整形外科に入局いたしました岡健志郎と申します。
京都出身ですが、入試のご縁で富山大学に進学しました。豊かな自然に囲まれた大学生活を通じて富山の魅力に惹かれ、将来もこの地で働きたいと強く思うようになりました。その思いのもと、富山県立中央病院で2年間の研修を行い、3次救急の現場で経験を積みました。救急医療に携わる中で、最も外傷に近い診療科である整形外科に強く魅力を感じ、憧れを抱くようになりました。
京都へ戻ることも考えましたが、やはり富山で働きたいという気持ちが勝り、加えて整形外科の中でも腫瘍領域に関心があったことから、金沢大学への入局を決意いたしました。
未熟で学ぶべきことばかりではありますが、日々研鑽を積み、患者さんに自信をもって最善の医療を提供できる医師を目指して参ります。ご迷惑をおかけすることもあるかと存じますが、精一杯努力いたしますので、ご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします。

丸箸 駿太
丸箸 駿太
MARUHASHI SYUNTA

今年度より金沢大学整形外科に入局させて頂くこととなりました。丸箸と申します。
私が当医局を選んだ理由は、①手術が面白かったこと、②学会に多数参加しておりアカデミックなところが魅力的だったこと、③スタッフの数が多く雰囲気が良かったことです。本環境で、多くのことを学び、成長できると確信しています。
趣味は体を動かすことで、体力には自信があります。今後も長時間の手術にも耐えうる体力を維持し、チームの一員として貢献してまいります。
新入局員として、まずは基礎的な知識と技術をしっかりと身につけ、先輩方の指導のもとで一つひとつの症例に真摯に向き合いたいと考えています。また、チーム医療の一員として、他職種との連携を大切にし、患者様中心の医療を提供できるよう努めてまいります。
微力ながら、同門会の一員としても貢献できるよう努力してまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。