金沢大学附属病院 整形外科

金沢大学整形外科 教授 土屋弘行

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ごあいさつ

 金沢大学整形外科同門会の先生がたにおかれましては,いつも絶大なるご支援を賜り心より感謝申し上げます.
 まず初めに,恒例の昨年1年間の主だった教室業績をご報告いたします.2016年3月にオーランドで行われた米国整形外科学会(AAOS)の発表演題数は21題(今年も(2017年)何と21題!),ジュネーブで開催された欧州整形外科外傷学会EFORTには10題(今年は15題),JOAの3学会を合わせて51演題,国際学会発表演題が71題,科学研究費の獲得が15件,受賞および研究費の獲得が15件,英語論文の発表が41編でした.今後も,この勢いを堅持して行きたいと思います.

 この度,おかげさまを持ちまして,19th ISOLS (International Society of Limb Salvage) General Meetingを2017年5月10日(水)-12日(金)の3日間にわたって,ホテル日航金沢にて開催させていただきました.皆様のご支援をいただき,無事,成功裏に終わることができました.日本で本学会が開催されるのは,当時京都大学教授でおられた山室隆夫先生が1987年に第4回大会を開催されて以来,30年ぶりでした.世界各国49の国から,この金沢の地に,国内外から800名超の参加登録者を迎え,盛大な学会となりました.
学会に来ていただきました同門の先生がたや関係者を含めますと,1200名を超える規模の学会となりました.
 本学会は,骨軟部腫瘍を対象とした単独開催の学会の中では,世界最大規模を誇るものであり,本会においても40を超える国と地域から,757演題の発表が行われました.Podium sessionでは,発表を19のテーマに分けてプログラムを作成し,各セッションの冒頭には,各分野の第一人者にshort lectureを行っていただきました.このレクチャーにより,その分野の最新の知見,あるいは現在の問題点を浮き彫りにしていただき,引き続き行う各演題発表でより深いdiscussionへ繋がったものと思います.
 また,各日ごとに特別企画を用意しました.第1日には,ISOLS理事長であるMark T. Scarborough先生に, “The Education of Musculoskeletal Oncologists: Best practices and lessons learned”という特別講演をしていただきました.そして第2日には,ISOLS and Iと題して,これまで骨軟部腫瘍に対する治療法の発展に多大な貢献をされてきた先生がた(Edmond YS Chao, Rainer Kotz, Robert WH Pho, Katsuro Tomita, Winfried W. Winkelman)に,骨軟部腫瘍治療の歴史とご自身の関わりを振り返っていただきました.人生の多くを,骨軟部腫瘍治療の発展に捧げてこられた諸先輩(senior doctor)の思いを聞いていただくことで,これからの骨軟部腫瘍研究と治療の発展のヒントに繋がったのではないかと思います.日本を代表しまして富田勝郎名誉教授に熱い思いを語っていただきました.第3日には,ケースカンファランスとして,具体的な症例を提示しながら,世界各地域を代表する先生がたとともに,治療法のdiscussionを行いました.国際的には,社会的背景などにより,画一的な治療を行うことが困難な国も多く,希少がんである骨軟部腫瘍の治療においては,画一的な知識に囚われず,様々な発想で治療を行うことが重要となってきます.そしてこの創造力こそが,これからの骨軟部腫瘍治療のさらなる発展に,欠くことのできない重要な要素であると考えます.また最終日には,各セッションの優秀演題に対して表彰を行いました.金沢大学からは,合計26題の発表がありました.
そして,阿部健作先生が,Podium Session AのGold medal awardを受賞しました.
 金沢は日本文化を色濃く残す町として,年間800万人以上の観光客が訪れる一大観光都市です.武士の時代(江戸時代)には,東京,大阪,京都に次ぐ人口を誇り,食,工芸,美術などが独自に発展し,百万石文化として花開きました.また第二次世界大戦の戦禍を免れた唯一の県で,古い町並みも残されており,巨大都市にはない真の日本文化を,衣・食・住にわたり触れていただくことができました.周囲の自然にも恵まれ,日本海から直送される魚介でつくられたすしや天ぷら,自然の伏流水から生み出される日本酒など,より洗練された日本食を楽しんでいただけました.学会のWelcome reception,Gala dinner,そしてExcursionなどは,日本の自然や文化に触れていただけるよう,趣向を凝らした構成としました.飲んで騒ぎながら,日本の伝統と文化に触れていただけたと思います.
 本学会の歴史と共に,骨軟部腫瘍の診断と治療は着実に進化してきましたが,未だ多くの課題が存在しているのも事実です.骨軟部腫瘍の診断や治療について,現時点での問題点を整理し,今後進むべき未来像を打ち出せる,実りある学会になったと思います.この金沢の学会が,参加者全員にとって骨軟部腫瘍の研究と治療の発展のための積極的な知識交換の場となり,世界中から参加した友人と本学会を満喫し,より友情を深められ,充実した記憶に残る学会になったならば幸いです.
 さて,次は恒例の巻頭言を述べさせていただきます.
 昨年のテーマは「前進」でした.皆様のご支援のおかげを持ちまして着実に前進することができました.今年のテーマは「躍進」です.どんどん前に進んでいきたいと思います.引き続き,変わらぬご支援,ご協力をお願いいたします.

 昨年の出来事を振り返りますと,5月27日に米国のオバマ大統領が,現職大統領として初めて広島を訪れました.米国と日本が“核なき世界へ力を合わせる”ということですが,なにか空虚な感じを受けました.米国は,現在も核兵器の最大保有国であり,新たに大統領になったトランプ氏は,核兵器を廃絶するどころか,増やすと公言しています.
 広島と長崎に原爆が落とされ,日本は降伏しました.そもそも,戦争を一所懸命回避しようとしていた日本が,なぜ第二次世界大戦へ突入していったのか?米国が日本への石油輸出を全面禁止し,更に受け入れがたいハル・ノートを突きつけられ,その後に最後通告を受けました.「大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌」には,“米の回答全く高圧的なり.而も意図極めて明確,九カ国条約の再確認是なり.対極東政策に何等変更を加ふるの誠意全くなし.交渉は勿論決裂なり.之にて帝国の開戦決意は踏み切り容易となれり,芽出度芽出度.之れ天佑とも云ふべし.之に依り国民の腹も堅まるべし,国論もー致し易かるべし」とあります.これをみたら,当時は人口40万の小国ルクセンブルグでさえも戦うだろうと言われました.
 開戦時の米国大統領は,フランクリン・ルーズベルトでした.太平洋艦隊をわざわざ真珠湾に持っていき,囮にして日本の攻撃を待ったといわれています.真珠湾の水深は14mしかなく,航空機から発射された魚雷は通常40m沈み込むと言われ,まして,急降下爆撃などはできないと,高を括っていたようです.しかし,日本の戦闘機の放った20発の魚雷のうち19発が命中し,急降下爆撃も巧みで,当初250人の戦死者を予想していた米国は,約3000人の犠牲者を出しました.それに続いて,難攻不落のマレー,シンガポール,コレヒドールも,短時日のうちに日本軍によって陥落しました.ルーズベルトの最大の誤算は,真珠湾攻撃の翌日から日本本土を爆撃して短期間で降伏させるはずだったB17(空飛ぶ要塞)が,零戦に片端から落とされたことです.米国は,零戦に勝てる戦闘機を生み出すまでに何と3年もかかりました.
 日本は欧米の植民地を開放し,白人神話は音を立てて崩れ落ちました.ルーズベルトが日本を追い詰めて戦争を始め,結果,英仏蘭は大事な植民地を失うことになり,米国を責めたという話もあります.しかしながら,このまま物量で日本を倒すのには全く問題が無かったのに,日本がアジア解放に殉じたヒーローになることに懸念を抱いていました.ここで,白人神話と植民地の復活をかけて,マンハッタン計画が誕生したわけです.原爆投下を支持したのは,第33代米国大統領ハリー・トルーマンです.彼は,大の外国人嫌いで(特に有色人種),ジャップとチンク(中国人の差別用語)は,米国から叩き出すと言っていました.そして,原爆は白人の権威を取り戻す偉業!と考えていたわけです.世紀の悪行を行った大統領は,一生罪を背負い,死の床においても,“あれは正しかったんだ”と言い続けていたそうです.
 原爆投下機であるエノラゲイは,大事に保存され,堂々と飾られています.私も,米国と欧州の合同骨軟部腫瘍学会でワシントンDCを訪れたとき,レセプションがスミソニアン博物館で開催され,そこに飾られているのを見ました.日本人としては,何だこれは?と思いました.オバマ前大統領が,広島の原爆記念館にある幾多の写真を見て,何を思ったか,本音を聞きたいところです.米国人も,広島や長崎を訪れて,自分たちが何をしたかをきちんと理解するべきです.決して,戦争を終わらせるための原爆投下ではなく,日本人ならいいだろう,という感じでその威力を実験したと思えてなりません.米国ジャーナリストが選ぶ20世紀の重大ニュースでは,月面着陸やソ連崩壊などをおさえて,原爆で日本を降伏させたことが堂々の第1位だそうです.世界中で課題が山積している中で,自国最優先を掲げる今話題のトランプ新大統領が,どのような舵取りをしていくのか,全く目が離せません.日本,日本人は目を覚まして頑張っていかねばならない日が来たのだと思います.
 さて,新たな専門医制度の開始が1年先送りされました.来年始まるかも怪しくなってきました.これまで最も洗練された専門医プログラムを持っている日本整形外科学会は,今年4月から暫定プログラムとして新たな専門医制度に準じたものを導入しています.決して完璧な制度はないのでしょうが,基本領域とサブスペシャリティの関係が曖昧,専門医の質がどのように担保されるのか不明,女性医師の働き方に対する配慮がない,専攻医への身分保障や経済面への配慮がない,医師の偏在対策になっているか疑問,などなどが問題となっています.日本整形外科学会の調査によりますと,今年4月に専攻医となった新入会員の全国分布では,いわゆる都会と定義される6都道府県に約55%の専攻医が存在します.単純に人口比で見ますと,ほぼ正しい分布なのかもしれませんが,このままでは地方の整形外科医の不足はなかなか解消されないように思います.どなたか名案はないでしょうか?

 話は変わって,医療費削減を目標として,後発医薬品の利用拡大,窓口負担の増大,保険の範囲を縮小,高齢者負担の引き上げなどが取りざたされています.そして政府は,2025年までに全国の病床数を最大20万床減少させ,30−34万人を自宅や介護施設での治療に切り替える方針を立てています.年金制度にきしみが生じているように,国民皆保険制度も見直しを迫られているように思えてなりません.これからも暫く続く高齢化,超高齢社会をやり過ごせば,また持ち直すのでしょうが,終わったあとには大変なことになっているでしょう.現時点での対策をやらなければ,意味がないと思います.最近新聞に過激な発言が出ていました.医療費の削減には,医師数を減らして医療サービスを行き届かぬようにするのが一番効果的であるということです.確かに効果的ですが,国民にはまったくもって受け入れられないでしょう.話は他国になりますが,揺り籠から墓場までと言われていた英国の福祉政策では,ときのサッチャー首相が医療改革を推進し,透析を始めとする高額医療を60歳で切ることにしました.続けたければ自分の命だ,自費でやればいいということでした.その他にも福祉にすがる見せかけの弱者を切りました.ヨーロッパのお荷物と言われていた英国は,その後,見事に立ち直りました.どこかで,政治が(首相が),大鉈を振るわないと話が進まないような気がします.

 最後になりますが,昨年はリオデジャネイロ五輪において,日本人選手が活躍し,大きな力をもらいました.体操の男子団体と個人総合,バドミントン女子ダブルス,水泳,レスリング,柔道での金メダルもすごかったのですが,私は陸上男子400メートルリレーでの銀メダルに血が騒ぎました.ジャマイカは別格ですが,米国に勝った.アジアのチームがここまでこれるとは,私の生きているうちにはありえないと思っていました.たくさんの感動を味わうためにも長生きしないといけないと思いました.日本人選手が日の丸を背負って戦い,多くの感動的ドラマがそこにある.勝っても負けても人生の糧になり,また成長につながるわけですが,医学の進歩を目指している我々も一緒です.
 金沢大学整形外科の教室員は,日夜,研究と診療に励んで,その成果を持って,国内及び海外で戦っています.そして,自分との戦いもあります.私が教授に就任して以来,非常に多くの業績をあげてきてくれて,本当に頼もしく誇りに思います.自ら学び,気づき,行動を起こすことで自らの力を発揮し,チームに貢献し,それを通してさらに成長していく.人としてそれにまさる喜びはありません.トップであれ,ミドルであれ,部下の能力を引き出し,増幅し,組織の力を結集していく.それこそが,真のリーダーシップであると思います.目標は自分が決め,具体策は部下を信じ,任せる.結果責任は自分が取る.そのようなリーダーでありたいと思っています.

 いよいよ来年は,2021年の日本整形外科学会学術総会会長に立候補いたします.大願成就のため,非常に頑強な一枚岩と言われる金沢大学整形外科同門会の諸先生の熱いご支援を,何卒よろしくお願い申し上げます.

2017年6月吉日
〈平成29年同門会誌 巻頭言より〉

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