金沢大学附属病院 整形外科

金沢大学整形外科 教授 土屋弘行

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ごあいさつ

 昨年のテーマは「飛翔」でした.皆様のご支援のおかげを持ちまして大きく羽ばたくことができた一年だったと思います.今年のテーマは「前進」としました.着実に進歩を続けたいと思っています.引き続き,ご支援,ご協力をお願い致します.
 2015年4月9日に金沢大学整形外科開講60周年記念祝賀会を開催し,第124回中部日本整形外科災害外科学会を皮切りに,9月26日には,第21回日本運動器再建イリザロフ法研究会,11月25〜26日には,8th World Congress of International Society of Cryosurgeryおよび第42回日本低温医学会総会,そして今年3月18〜19日には,第29回日本創外固定・骨延長学会を主催させていただきました.全ての学会を無事,成功裏に終えることができました.同門の先生方,関連病院の先生方のご支援に深く感謝申し上げます.来年5月10〜12日は,いよいよ,第19回国際患肢温存学会総会(ISOLS: International Society of Limb Salvage)を金沢で開催致します.昨年の第18回大会は,米国のオーランドで行われ,約1200人が参加しました.骨軟部腫瘍関係の国際学会としては最大のものです.日本では1987年に京都大の山室教授が開催されて以来,30年ぶりの開催となります.金沢の学会は素晴らしいと評価していただけるよう,計画,実行していきたいと思っています.
 さて,昨年1年間の主だった教室業績をご報告します.米国整形外科学会(AAOS)の発表演題数は15題(今年は何と21題!),JOAの3学会を合わせて57演題,国際学会発表演題が77題,科学研究費の獲得が15件,受賞および研究費の獲得が18件,英語論文の発表が38件でした.教室員皆が,教育,研究,臨床においてより一層の頑張りをみせ,飛躍しています.今後とも,皆様の応援をよろしくお願い申し上げます.

 ここで昨年から今年前半の出来事を振り返りつつ,私見を述べたいと思います.いつもこの巻頭言が長文となり,大変恐縮ですがお付き合いいただければ幸いです.

 昨年夏に,安倍首相が戦後70年談話を発表しました.「その歴史の教訓の中から未来への知恵を学ばなければならないと考えます.」と粛々と未来志向を語りました.続いて,「世界恐慌が発生し,欧米諸国が,植民地経済を巻き込んだ,経済のブロック化を進めると,日本経済は大きな打撃を受けました.その中で日本は孤立感を深め,外交的,経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みました.(中略)日本は,次第に,国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていきました.」と述べました.保護貿易や人種差別を推進する欧米諸国は,有色人種なのに発展を続ける日本が気に入らなくてしょうがなかったのでしょう.そして,日本は自衛のための戦争に突入しました.
 さらに,「あの戦争には何ら関わりのない,私たちの子や孫,そしてその先の世代の子どもたちに,謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません.しかし,それでもなお,私たち日本人は,世代を超えて,過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません.謙虚な気持ちで,過去を受け継ぎ,未来へと引き渡す責任があります.」といつまでも負の遺産を引きずってはいけないことを強調しました.最後のほうでは,「我が国は,先の大戦における行いについて,繰り返し,痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました.その思いを実際の行動で示すため,インドネシア,フィリピンはじめ東南アジアの国々,台湾,韓国,中国など,隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み,戦後一貫して,その平和と繁栄のために力を尽くしてきました.」と述べています.この国の順番が大事で,熟考に熟考を重ねた結果だと私は考えます.現時点ではバランスの取れた最高の談話ではないでしょうか.

 また昨年は,国産ジェット日本の翼MRJが大空を舞い,日本に大きな希望と夢をもたらしました.欧米のメディアがゼロファイター(よく言われるゼロ戦のことです)の再来と賞賛しました.当時の日本の軍用機は,採用年次の皇紀下二桁を名称に冠する規定になっており,零戦(通常は“れいせん”と言います)の「零式」との名称は,採用された1940年(昭和15年)が皇紀2600年に当たり,その下二桁が「00」であるためです.三菱重工業と中島飛行機で作成されました.中島飛行機は解体され,現在,富士重工業(スバル)へとつながっています.この零戦が,米国の空飛ぶ要塞B17をバッタバッタと撃ち落とした一方,ドイツのメッサーシュミットは歯が立たなかったそうです.それでドイツ人は日本人に嫉妬していたとか.
 そしてまた,昨年は自動車業界に激震が走りました.フォルクスワーゲンは,力強いディーゼルの走りで日本車市場に対抗していました.ところが,見かけ上ガス排出量を減らすソフトを搭載していたことが発覚しました.それまでは,米国の研究機関は,きれいな排ガスの見本と賞賛していました.フォルクスワーゲン側も,“米国には見抜けないだろう,走りながら検査する小型装置はない!”と思っていました.そしたら何と,日本の堀場製作所がトランクに搭載できる小型装置を開発し,すべてがバレました.車産業でも戦いは続いていました.ニューヨーク・タイムズが日本の技術の凄さを報じています.日本の技術力はすごい!
 昨年,またまた二人の日本人がノーベル賞を受賞しました.大村智氏が寄生虫やマラリアに関する研究で医学生理学賞を,梶田隆章氏がニュートリノに質量があることを発見して物理学賞を受賞しました.21世紀に入ってから,日本の受賞者数は16人となり,アメリカについで世界第2位です.1位のアメリカは54人,3位のイギリスは10人です.
 しかし,これまでに多くの日本人がノーベル賞を逃しているのをご存知でしょうか.1901年,最初のノーベル医学生理学賞はドイツ人のベーリングがジフテリアの血清療法で受賞しました.けれども,実際に確立したのは日本の北里柴三郎で,ベーリングは北里の助手をしていました.コールタールによる実験発がんに成功した山際勝三郎ではなく,寄生虫原因説を提唱したデンマーク人のヨハネス・フィビゲルがノーベル賞を受賞しましたが,フィビゲルの作成したものは,後にがんでなかったことが判明しています.鈴木梅太郎は,オリザニンを発見しましたが,アメリカ人フンクがオリザニンを新たにビタミンと命名し,後追い研究のオランダ人エイクマンがノーベル賞を受賞しています.金沢にゆかりの深い高峰譲吉にも同様のことが起こっています.高峰はアドレナリンの抽出に成功したのはご存知のとおりです.しかし,アメリカ人エーベルが,自分が先に発見したとしてエピネフリンと命名し,何と,みんなが忘れたころに高峰理論をまとめたアメリカ人アクセルロッドがノーベル賞を受賞しました.
 ノーベル化学賞や物理学賞でも同様です.長岡半太郎が陽子の周りを電子が回っていることを発見したのに無視をされ,イギリス人ラザフォードが化学賞を受賞しました.また,TDKの武井武がビデオ磁気記憶装置や軍用ステルスのもととなるセラミック磁石フェライトを開発しましたが,武井理論を横取りしたフランス人ネールがノーベル物理学賞を受賞しました.極めつけは,現在の富山県南砺市(城端)出身の稲塚権次郎が開発した多収穫小麦農林10号です.アメリカGHQの役人が小麦農林10号を持ち帰り,それをもとに多収穫品種を作成,世界中で小麦の生産性があがり,ノーベル平和賞を受賞しました.その役人の名は,ノーマン・ボーローグです.このような話は枚挙に暇がないようです.西澤潤一が開発した光ファイバー・光通信についても,アメリカ人のチャールズ・カオが物理学賞を受賞しています.
 もともと,ノーベル賞やオリンピックは白人の優位性を示すために作られたと言われています.人種差別が軽減され,正確な情報に素早く辿り着ける今日では,もはやこのような事態は起こらないと信じています.しかし,前述した日本の誇る先人たちの偉業は,夢・挑戦・実現の証であり,大いに誇るべきものです.挑戦する人間は価値ある人間であり,それが発展に繋がって行くと思います.
 整形外科学の領域においても,人工関節や脊椎インストルメンテーションの出現,骨肉腫に対する患肢温存手術や90%の5年生存率,抗菌インプラント,脚(骨)延長術の開発,イリザロフ法の出現,骨粗鬆症や関節リウマチの治療薬の開発などなど,このような進歩が起こることを一体誰が予想できたでしょうか.これらも,多くの先人達が,夢を抱き,挑戦し続け,そして実現してきたからです.実現したものの,影で沢山の失敗があったでしょう.しかし,諦めてはなりません.それらも,たゆまぬ努力により,いつか実現する日が来ると思います. 

 今年に入って,2016年2月12日, 米国の研究チームが重力波の直接観測に初めて成功と発表しました.時空のさざ波はいかにして検出されたのか.重力を完全に理解しようと探求する科学者たちによる驚異的な発見です.地球から数十億光年離れた場所で2つのブラックホールが衝突することによって,時空のゆがみが発生しているのを観測したのです.この重力波の初観測は,天文学にとって新時代の幕開けだと国際研究チームは言います.発見は数十年と積み重ねてきた研究の成果で,いずれビッグバン解明の手掛かりとなるかもしれません.国際研究チーム「LIGO(ライゴ)」が研究成果を学術誌「Physical Review Letters」に発表しました.LIGOは世界各地で複数の研究観測施設を運営し,長いトンネルを通してレーザー光線を発射し,時空を伝わる波を観測しようとしてきました.観測対象となるシグナルはきわめてかすかで,「インターフェロメーター」と呼ばれる観測機器がシグナルを感知した際の振れ幅は原子の幅の数分の一に過ぎません.しかし今回,米国内の別々の2カ所にあるLIGO施設が,ブラックホールの合体を観測しました.そこから発せられる重力エネルギーは太陽の質量の3倍だったそうです.
 「重力波を観測しました!重力波を通じて宇宙が初めて我々に語りかけました.これまで我々は耳が聞こえなかった.」LIGO計画の責任者,デイビッド・ライツィ・フロリダ大教授は, 幾分興奮して,ワシントンの記者会見で報道陣にこう発表しました.ヒッグス分子発見以来最も重要な科学的発展のひとつだと評価され,DNA分子構造の発見に匹敵し,ノーベル賞は間違いないと言われています. 重力波を直接観測し,ブラックホールを観測するのはこれが初めてで,相対性理論を裏付けるものだそうです.観測されたブラックホールの概要は,アインシュタインがほぼちょうど100年前に予測したものと完全に合致しています.夢への挑戦がなされ,その実現まで100年の月日を要しました.
 「夢・挑戦・実現---Dream, dare and do.」は,私の講座のモットーです.日本人の多くは,夢は実現し難いものと思っていますが,欧米人は夢というものは実現できると信じています.これは持って生まれたDNA,民族性の違いだと言われてしまうと元も子もなくなってしまいますが,医学を始めとしてあらゆるものがグローバル化し,すごい速さで情報が行き来するなか,日本人もいつまでも内向き志向のままではなく,存在感や優位性をどんどん外に向けて発信していく必要があると思います.

 最後に好きな言葉を紹介して終わります.
It is difficult to say what is impossible, for the dream of yesterday is the hope of today, and the reality of tomorrow.-----Robert H. Goddard.
(訳:何が不可能かをいうことは難しい.昨日の夢は今日の希望となり,やがて明日の現実となる.)
 「ロケットの父」と称されるアメリカのロケット工学者,発明家であり,初の液体燃料ロケット打ち上げを行うなど,ロケット工学草創期における重要な開拓者の一人であるロバート・ハッチングズ・ゴダード(1882年-1945年)の言葉です.ゴダードは,「真空中ではロケットは移動できない(作用・反作用の法則が成立しないため)」というのが定説であった時代にロケットの実験を続けたため、生前はマッドサイエンティスト (常軌を逸した科学者) 扱いされました.しかし,アポロ11号の月面着陸により全てが報われました.

The future doesn’t belong to the fainthearted. It belongs to the brave.
(訳:臆病者に未来はない.勇気ある者に未来はある.)
 私は,昨年10月にケネディー宇宙センターを訪れた時,時の米国大統領であるロナルド・レーガンの言葉に感動しました.

Defensive medicine brings no progress. Offensive one leads to the progress.
 これは私の言葉で,常に念頭に置いています.“守りの医学では何も発展しない.攻めることが医学の発展に繋がる”この姿勢が大事だと思っています.
 今後も,変わらぬご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします.

2016年6月吉日
〈平成28年同門会誌 巻頭言より〉

平成29年 ごあいさつ

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